『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「私は私を知らなかった」

こんにちは。

ご訪問ありがとうございます。

 

11月もそろそろ終わりですね。早いものです。

いかがお過ごしでしょうか?

神社は七五三がまだちょっと続いています。

 

さて、今日は完全に身の上話になりますし、特になんのオチもありませんし、何か教訓めいたことも語りません。

ユーチューブでも少しお話したのですが、

実は私は大学に入ってすぐ、正確には入る少し前から、

ある特定の神社の宮司になりたいと思っていました。

神社には「兼務社」という失礼なカテゴリーがあるのですが、

そこの神社も兼務社でいつも宮司神職がいない神社でした。

お祭りなどの行事の時に宮司がくるスタイルの神社です。日本にはそうした神社が山のように、というかそいう神社だらけです。

ですので、私としてはそこの宮司になれたらいいな~。と思っていたわけです。

それに大学・大学院へいる頃から、

正直言って私は神社界と呼ばれる世界に色んな意味で馴染めないのはわかっていましたし、

社家でもない私がこの世界で自分の考えを思いっきり表現することはできないだろうと思っていました。

ですからなるべく早く宮司になって、自分の思いを表現したいと焦っていたわけです。

(↑これを「若さ」と簡単に片づけることもできるのかも知れませんが、私はそうはしたくありません。)

 

また、こうした話になると、「婿養子にいったら?」みたいな話をしてくる人もいます。もちろんそれはそれで一つの方法ですし、全く否定しません。

しかし心の奥深くで、「婿養子に行くために私は大学に通っているのか?」みたいな自問が始まり、やはりこれも(あくまでも私にとって)違うなぁと思ってしまいます。

ってもう40歳目前ですから、そうした話がやってくることはないでしょう。

 

それで話を戻すと、

私がなぜそこの神社の宮司になりたかったかについてですが、もちろん色んな理由がありました。

ただはっきり言って一番の理由は「理由がない」です。

お得意の「直感」です^^

最近まで私はあまり直感に頼って生きてきたつもりはないのですが、

思い返すと人生の要所要所で私はこの直感が見事に働ていたなと思います。

あと大事な理由として挙げておくべきことは、

それは「地元の人間への見せつけ」だったと思います。

私は人と戦うことを放棄して生きてきました。

精神的・物理的に弱い(と思い込んでいる)からです。

ですから私は自分が特別な人間であることを周囲に刷り込むことに躍起になっていきました。この人は丁重に扱わないといけない人物なんだ。と人に思ってもらう必要があったのです。

これは好い悪いではなく、私という人間が生きるために必要な判断だったし、獲得した技術だったのです。つまりそういやって生き残ろうとしたまでのことです。

ですから、あの神社の宮司になることによって、

今風に言えば「地元」という人々に対して「マウント」を取ることで、この心を安んじたかったのだと思います。

(↑ちなみにこういう場合、もしこれが現実になっても心は絶対に平安になりません。また新たな問題が生じて苦しむだけです。)

 

他にも細かく言えば色んな理由はありますが、いずれにしても私はその神社の宮司になりたかったわけです。ただ途中他の神社でもいいから、どうしても宮司に。みたいな気持ちになったこともありましたけど・・・

 

それで「私なりに」色々とチャレンジしてみたわけです。

簡単に言えば周囲の人たちと関係を持つことで、お近づきになろうみたいな。

お中元やお歳暮まであちこち送って、その反応に一喜一憂していました。

今考えれば、(ごめんなさいちょっと激しい表現になりますが)そういう己の思考・行動を思い返すと、反吐が出そうです。

でも当時はそんなことはなかった。その繋がりさえも重要だと信じていたし、きっとこれが何か良い方向へ導いてくれると思っていたのです。

 

皆誰しも、器用か不器用かは置いておくとして、その人生を必死に生きています。

私も私で必死ですから、それなりに己の人生に向き合っていた。

そんな過去の自分をようやく認めてあげることができるようになりましたが、

現実の問題として、私のこうしたやり方や姿勢は理解を得られるどころか、

この神社を兼務している宮司さんにとっては疎ましい事と映るわけです。

26、7の神職資格を取った人間が、自分の預かり知らぬ所で、兼務社をちょろちょろ出入りし、地元の人と懇意になっていれば・・・

 

結局具体的な事は申しませんが、私はこの神社に出禁のような形となってしまいました。直接そう言われたわけではありませんが、実質そんな感じです。

あれからもう13年近く時間が経過しています。もちろん今でも私はこの神社に伺うことはありません。たま~に車で前を通り過ぎることがありますが、鳥居や幟旗の存在を一瞬捉えると、軽く頭を下げるだけにしています。

 

この出来事によって私は良い意味でも、悪い意味でも、積極性みたいなものを喪失してしまいました。

何かやったらまた失敗をするだろう、噂になるだろうのような恐怖が先に立ち、事を起こすこともできず、

苦しい現実を打開したい気持ちはあっても、簡単な話、頼りになりそうな神職、或いは上司にさえ、何一つ相談することができなくなってしまったのです。

 

ただ一つ言えることは、こうして一人で悶々と?考えることによって、長い時間かかりましたが、今の私があり、そして私の思想があるわけで、それによって生き方そのものが変わったのです。極端な話、私は人格さえも変わったと思っている程です。

 

ですから、今ならはっきりとわかりますが、

もしまかり間違って、私があの時、あの神社の宮司になっていたら、

私はその神社を自分をよくみせる道具として使い、結局メチャメチャにして、収拾が効かず、宮司としての仕事を放棄して、どこかへ逃げてしまっていたことでしょう。

では今の私なら大丈夫か?となりますが、それはわかりません。

しかし繰り返しますが、私は人格が変わったとさえ思っていますので、少しは違うと思います。

ですから、今まで述べた私の過去は、私の人生にとって必要な出来事であったのは間違いありません。

そして恐らくこのことを、多くの人が「昔は未熟だった、年齢を重ねて落ち着いたんだね」と評価することでしょう。

天邪鬼みたいで申し訳ありませんが、私はそう思わないのです。

「未熟」と言うのは簡単です。年齢が若いので、知恵や知識が少ない、人間として成熟していないということでしょう。そんな単純な話ではないと思っています。

 

私の言葉で表現すれば、

「私は私を知らなかった」

ということになります。

 

私は私という人物の事を全く理解できていなかった。

何が好きで、何が望みで、何が心地よいのかを、自分に問うことをしなかった。

その代わりに、

誰にどう思われるか、自分はあの人より上あの人より下、あれが欲しいこれが欲しい・・・

そして親という、重要な存在であるけれど、やはり自分とは別の人間に認められることを常に意識していたわけです。

こうした思考の繰り返しが、私が私という人間の存在を無視し続ける結果を生んだのだと思います。

私の話は、特殊なように見えて、実は結構あちこちで起こっていることなのではないでしょうか?

他人の目や世間体などが重要視されて、「本当の私」の声を無視している人が・・・

 

ただ私の場合は、ごく最近になって、こうしてネットで発信をするようになりました。

以前も少しやっていたのですが、止めてしまいました。

一時は文字として表現することさえもできなかった状態です。

それから考えれば、こうしてブログでそしてユーチューブで、ずいぶんペラペラ語れるようになったわけですから、少しは前に進んでいるのでしょう。

正直、ありのままを言えば、この発信が己の人生を前を進めるきっかけにならないかと、期待しているところもあります。

もちろん少しでも世の人の役に立ちたいと思いながら発信してはいますが、心のどこかでは、これに賭けるしかもう道はないだろう。そんなことを思うこともあったります。

それはそれで、邪まですかねぇ。

 

 

なんだかほんと今回の投稿は、身の上話をダラダラした感じです。

ご容赦願います。

それでは今日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございます。