「お手本」があるじゃないか
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
腱鞘炎になってしまって、右手がしんどいです。
明日はお休みなので、病院に行ってきます。
さて、
今日はこんなお話し
つい先日投稿した 今こそお参りするべき神社
にも登場した「無価値感」という言葉。
私も解放カウンセラー仁さんのお話を伺うまで、この言葉は知りませんでした。
しかしやはり心の勉強をするにつれ、この「無価値感」というものが、
人間の心、そして人生そのものに悪い影響を与えるものだと思うようになりました。
というのも、
「自分には価値がない」と思えば思う程、本当は「存在しているだけで価値がある」という真実を実感することができるからなのです。
私のブログで何度もお話している通り、私たちは、
【元型(アーキイプ)】と【物理宇宙(世界)】を行ったり来たりしています。
そしてこの【元型(アーキイプ)】という存在は、自身が「存在していることが至上の喜び」であることを知っています。
【元型(アーキイプ)】は完全完璧な存在ですから、例えばその他にも、豊かである喜び、分かり合える喜び、手に入れる喜び、伝わる喜び、つながる喜び・・・と言ったあらゆる喜びを知っています。
しかしこれらの喜び(喜びだけではありませんが)はすべて、「自身が存在しているからこそ得られる喜びである」ということを「忘れていない」のです。
ですから「自分という存在が価値そのものである」ということを知っているわけです。
従って【元型(アーキイプ)】は自身が存在しているだけでこれ以上のない喜びであることを、もっともっと実感するために、さらにさらに自分を愛するために、深く深く自分を理解するために・・・
【物理宇宙(世界)】=今私たちがいる空間で、その真逆の体験をするわけです。
つまり「自分には価値がない」という体験をです。
この「無価値な体験」というのは、もちろん悲しいことに、親からの虐待とか、周囲からの阻害や無視・無関心というものもありますが、実は普段の生活の中の些細なところにも潜んでいたります。
私は職業柄、何かを「依頼」されることが多いです。
ご祈祷だったり、原稿だったり、相談だったり、取材だったり。
電話やメールでの依頼もありますが、直接神社に来てお願いされる場合もあります。
そういう時、一人でこられる場合もありますが、複数で見えることがあります。
例えばそれが二人の時、一人が私に何かを依頼します。私もそれに受け答えをします。
その後ろでもう一人が私らの会話を聞いています。
話しが終わって、それではよろしくお願いいたします。と言ってその二人が帰ります。
実は・・・・
後ろで話しを聞いていた人はこの時「無価値感」を感じていた可能性があるのです。
つまり、私はメインとなる人とのみ話をしていて、もう一人とは話をしていません。
お付きやカバン持ちであったとしても、そこにちゃんと存在している一人の人間です。
例えお付きで来ただけで、依頼する内容を知らないとしても一人の人間として尊重するべきです。
私たちの態度がその人に「あなたは蚊帳の外である事」「あなたには関係のない事」「あなたは相手にしていない事」というメッセージを送ってしまっているのです。
敏感な人であれば、きっとそうした「無価値」を感じることでしょう。
では私はどうすればよいのか。
簡単です。
一度でいいから「目を合わせる」
これだけです。
確かに話はメインの人と進んでいきます。
しかし帰り際に、一瞬でもその後ろにいる人を目を合わせるだけで、私はその人もちゃんと認識し、存在をちゃんと認めているというメッセージを伝えることができるのです。
はっきり言いましょう。
経営者で言えば、それができる経営者とできない経営者とでは雲泥の差があります。
つまり立場によって、相手の存在の「有り」・「無し」を選んでいるような経営者だからです。
ちょっと言い方きつくなりますが、そうした人からは離れた方がいいでしょう。近くにいても、いいことありません。
なにせ、あなたが偉くないと、私はあなたの存在を認めません。と言っているのに等しいわけですから。
繰り返すますが、私たちは「存在していることが価値そのもの」なのです。
【元型(アーキイプ)】はそれを「忘れていません」
しかし【物理宇宙(世界)】に住む私たちはそれをすぐに「忘れます」
ですから「自分には価値がない」という偽りを思い込み、苦しんでしまうのです。
自分に価値がないなんて、嘘なのです。
ですから目の前にいる誰だって、同じように価値のある存在なのです。
立場なんて一切関係ありません。
だから、私は・・・
と~っても苦手なのですが、誰にでも人と目を合わせるようにしています。
私が優れた経営者だとか言いたいのではありません。(経営者じゃないし)
そうではなくて、ただ一人の人間として、せっかくいらした方の存在を認めているということなだけです。
そして、是非思い出してもらいたいことがあります。
それが震災などにおいて、避難所にお越しになる
天皇陛下
皇后陛下をはじめとする皇族方のお姿です。
災害に遭い、苦しんでおられる方々に直接お声を掛けられます。
上皇陛下・上皇后陛下はお膝やお首にお痛みを抱えていらっしゃいました。
しかし、それでも膝を折り、被災者と同じ目線になられてお話を聞いておられる。
まさに「生きているあなたを尊重しています」というメッセージを体現なさっておられるとしか私には見えないのです。
これは決して天皇という個人を崇拝したり、賛美したりしているのではありません。
天皇ご自身が、よりよい天皇像というものを模索しておられるのです。
そしてそれは私たち国民から見て理想的な天皇とは一体どういう姿か。という問いをいつもいつもご自分になさっておられるということです。
その一つが、「目線を合わし、相手を尊重する」という行為として表れているのです。
ですから、私たちもそれを手本とし、目の前の人、そして自分自身の存在を認め、その価値の素晴らしさを「忘れない」ようにしましょう。
すぐ忘れちゃうので(笑)
それでは今日はここまで。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。