私の探しモノ
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
私の大切な読者さんのハイジさんの記事 ↓
を拝読し、最後の・・・・
みなさんの大切な場所は
どこでしょうか?
忘れられない場所はありますか?
という問いかけをもらった瞬間・・・・
「あぁ意識的に忘れようとしていた大切な場所」が私にはある。
ということを思い出しました。
私は子供の頃、
普通の子供が好きそうな遊園地も好きじゃなかったし、
ゲームもほとんどやりませんでした。
とにかく「誰かが作ったもの」が好きになれなかったのです。
ですから「公園」も行きませんでした。
例えば「〇〇自然公園」のように、木々があり池や川があるような場所でも、
綺麗に整備されていると魅力を全然感じませんでした。
むしろこうした作られた・整備されたものを「自然」と言って喜んでいる人を「かわいそうだな」くらいに思っていました。
とにかく「手つかず」「未整備」「そのまんま」
という環境だけが、私の心をときめかせました。
ですから子供の頃学校から帰ってきて、
ランドセルをほっぽり投げると、
「山に行ってくる。」
と言い残し、5時の鐘が鳴るまで帰ってきませんでした。
「全て」がそこにあったと断言できます。
川に入って魚を獲り、秘密のクヌギの木にはいつもクワガタやカブトムシがいました。
花や山菜を摘んだり、アケビやビワ、桑の実などを食べました。
そして何より・・・
この獣道の先に何があるんだろう・・・
この藪を越えた山の向こう側はどうなっているのだろう・・・
この沢をずっと登った先はどうなっているのだろう・・・
こうした自分の中で湧き出る疑問を
私は勇気を出して、この体を使って解決していきました。
そして間違いなく、そこには必ず「感動を伴う答え」が待っていました。
見た事がない景色があり
誰も知らない池や滝を見つけたり
あたり一面に貴重な植物が生えていたり・・・
大きくなるにつれ、
周りのクラスメイトたちはだんだんこうした遊びから遠ざかりましたが、
私はいつまで経ってもこうした遊びが好きでした。
今思い出すと少し笑っちゃいますが・・・・
「この山を自分の子供の遊び場として残していこう」
と本気で思っていました。
(未だ結婚もしていないし、子供もいないですけど^^)
それだけ私にとっては、子供の頃に遊んだあの山は、
何物にも代えがたい喜びと学びを与えてくれた環境だったわけです。
ところが、小学校の高学年くらいの時に、あの山は開発されることになったのです。
ホタルや貴重なサンショウウオがいなくならないよう、
自然を残しながら開発をします。と説明会では開発業者は言っていました。
そして、その山は「立ち入り禁止」になって工事が始まりました。
しばらくして、「どうなっているだろう」と思って見に行くと、
チェーンソーで次から次へと、木が切り倒されている場面に出くわしました。
すごくショックで、それ以来、あの山には近寄らなくなりました。
どうしても忘れられない言葉があります。
高校生の時、当時仲よくしていた友人と何かの話をしてる中で、
「もうこれ以上、山や海を削って開発するのは辞めにして欲しい」
と私は失ったあの山を思いながら話しました。
すると彼は、
「なに、小学生みたいなこと言ってんの?」
と返してきたのです。
その後私がなんと答えたかは覚えていませんが、
相当虚しい気持ちになったことを覚えています。
それから以後、本当に去年くらいまで、
つまりもう40にならんとするような年になるまで、
こうした誰も来ない、山や海や川が本当は好きなんだ。
という気持ちをギューッと心の奥深くに押し込めて生きてきました。
しかし大きな「気づき」を得て「理由のない好き」とトコトン向き合うことが、
人間の人生を豊かにする大きな鍵であることに気づき、
私は去年から、時間がある時、奥多摩や八王子の山や川を巡り、
時には一人で海水浴や川遊び、潮干狩りを楽しんでいます。
ただ・・・
ハイジさんの投稿、そして問いかけを受けて、
今はっきりと言えることは、
「私は失ったあの山を探している」
ということです。
なんかこんな言い方をすると、すごく格好つけた言い方に聞こえてしまうかも知れないから、ちょっと嫌なのですが、実際にそうなのだから仕方ありません。
子供の私に多くの喜びと感動、そして学びを与えてくれたあの山は、もう絶対に帰ってきません。
それは本当に悲しく、やるせない気持ちになります。
しかし、だからこそ、私はいつまでもあの山の面影を求めているし、
私の中にあるゆるぎない「理由のない好き」という「軸」となっているわけです。
そして、これが私の人生にとって、大きな意味を持つものであることは間違いありません。
今後も高くアンテナを張り、メッセージを受け取って行こうと思います。
今日は改めて、物事は深い所でつながっているなぁ~と感じることができました。
ありがとうございます。
最後までお読み頂きありがとうございます。
それではまた。