『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

お盆は優しい【悟り開けば 草木も国土】

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

お盆は今日までですねぇ。

コロナの影響で、色々な行事が取止めになっています。

「お盆行事」も例外ではありません。

 

このお盆ですが、私、本当に大好きな日本の風習の一つです。

日本のお盆行事は優しさのかたまりだと感じています。

 

実を言うと、このお盆という考え方は日本独特のもので、

そもそも仏教から生じたものではありません。

仏様のがいらっしゃるのは西方浄土ですから、

遠い遠い西の彼方にあると考えられてきました。

つまり一年に一回祖先の霊が家に帰ってくるというのは、

日本に元々あった祖先崇拝の考え方です。(←ムリにこれを「神道」とは言いません)

それが仏教と混ざり合って今日のお盆があるというわけです。

 

ではその日本に元々あった祖先崇拝だと、

亡くなった人の霊・魂というのは、どこに行くのかと言うと・・・

 

「あの山の向こう」とか

「あの島」とか

指を指してわかるような位置や

もう少し遠くなると、

「海の彼方」

すごく近くなると、

「草葉の陰」

と言った距離感です。

 

「海の彼方」で有名なのは沖縄地方に伝承される「ニライカナイ」ですね。

ただこれは祖霊が集まる場所。というだけでなく、いわば「理想郷」と言ったニュアンスが含まれていますので、「あの山」「あの島」とは少し意味が異なります。

 

日本各地に「大島」「青島」「沖ノ島」なんて名前が付いた島がありますが、

例外を除いて、だいたいこうした島は人々が多く住んでいる岸(本土やもっと大きな島)から見て、肉眼で目視できる程度の沖合にあったりします。

こうした島々は、信仰の島だったり、立ち入り禁止だったり、年に一度の祭場になったりする場合が多いのです。

つまり、何かしら人々が尊崇するような気持ちをそこに寄せていたというわけです。

ですから、祖先の霊がこうした場所に行く。と考えるのも自然なことなわけです。

 

そして、年に一回祖先の霊は今生きる身内の元に帰ってきます。

その時に行われる行事が本当に優しさに溢れていますよね。

道に迷わないように迎え火や送り火をして目印にしてあげたり、

お墓まで行って、家の主が、祖先の霊をおんぶして家に連れていく地域もあります。

早く帰って来られるように、馬の乗り物(精霊馬)を作って、

ゆっくり帰っていけるように、牛の乗り物(精霊牛)を作ります。

盆踊りは念仏踊りが起源とされていますが、

有名な所で言えば西馬音内の盆踊りは、「亡者踊り」と言って黒い頭巾を被った亡者が盆踊りの中に加わります。

まさに死者と生者が一緒になって踊るのです。

 

今この一瞬、年に一度のほんの束の間、

私たち日本人は、生きる者も死せる者も、隔てなく同じ時間を共有するのです。

そしてここからが大事です。

 

「いずれ私もそっちへ行くよ」

 

ということを生きる者は死せる者へと伝えているのです。

お盆の本質、お盆の神髄はここにあると私は思っています。

また大事な人ともう会えない悲しみは生きる者も死んだ者も同じです。

だからお互いが「幽顕の隔」(あの世とこの世の隔て)という、

どうすることもできない障壁がありながらも、

それでも互いの悲しみを、分かろう、分かろう、

寄り添おう、寄り添おうとしているのです。

だから私は日本のお盆が好きなのです。

 

昨日は8月15日でした。

多くの人々が命を落としたあの戦争が、

この日本のお盆という時期に終わったことは、

本当に何か大いなるものの意思がが働いていると、

毎年毎年思います。

 

最後に東京のある地域に伝わる念仏踊りの歌詞の一部をご紹介。

 

若い芙蓉も  おきなの草も
秋の野分は  無常の風よ
散れば残らず  皆土となる
悟り開けば  草木も国土
仏頼めよ  南無阿弥陀仏

 

(謹解)

どんなに若くて美しい花や、成長しきった草も

秋の無常の風に吹かれれば

皆残らず散り、土に還ってしまう

しかし悟りを得れば、草や木も、全てが一体であることに気づく

御仏におすがりしよう 南無阿弥陀仏

 

 

まだまだ暑い日が続きます。

どうぞ体調にお気をつけください。

今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございます。