『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

アイ・ハブ・ア・ドリーム

みなさん、おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

ユーチューブでの発信を始めてしばらくたって、

なんとなくですが要領を掴んだ感じがして、

やっていて結構楽しくなってきました。

やはりこうして、文字で伝えるのと、

言葉として伝えるのとでは、

使う頭の場所が違うのか、良い刺激になっているように感じます。

 

今日は少し毛色が違う?お話になると思います。

というのも、単純に・・・

「こんなことしてみたいぃ~」というのを語ろうと思うからです。

 

さて

人それぞれ、感性というのもを持っています。

アレが好きだったり、コレが嫌いだったり。

その中で、私は何度も申しております通り、

「祭り」が好きなわけです。

ということは、その逆で、

「祭り」が失われることが何よりも悲しく感じるのです。

 

東日本大震災の折、私たちは多くの尊い命を失いました。

そしてそれと同時に、多くの祭礼文化の継承が困難になったのです。

例えば、当日祭りの祭場(会場)にやってきて、

神輿を担ぐとか山車を曳くとか、

そういうのであれば、当日のヘルプで賄える場合もありますが、

例えば長い時間をかけて覚えないといけない神楽やお囃子などは、

当日来てその場でなんとかするというわけにはいかないのです。

親から子、子から孫という感じで、代々継承させていくものだからです。

 

しかし、地震や津波、或いは単純に過疎化などによって、

その担い手が減少し、祭りの継続が困難になっている地域があります。

そして、残念ですが、これからそれがどんどん加速していきます。

 

そこで

こうした地域の伝統的な神楽やお囃子などを、

東京の町会や祭り保存会などの一組織に「仮にお引越し」をするというのを考えています。

好いか悪いかは別にして、これから先、さらに東京一極集中が進むと私は思っています。

ですから、地方でこうした伝統が失われる前に、なんとか東京で保存しておきたいと思うのです。

 

江戸時代の江戸の街というのは、実はたくさんの地方色があったのをご存知ですか?

もともと江戸はたくさん人が住んでいる場所ではありませんでした。

しかし幕府が江戸に定まったことにより、多くの働き手がやってきます。

そしてさらに参勤交代の制度によって、各藩の大名が屋敷を構えるようになり、その出身の藩から様々な文化が移植されていきました。

 

その後明治維新・関東大震災・東京大空襲によって、こうした江戸の地方色の多くが消えてしまいましたが、それでも地名などには今でも江戸と遠く離れた場所と関係するものも残っています。

こうした観点から、江戸(東京)に、こうした地方の祭礼文化を移植するというのは、歴史的に見ても、決して突拍子もない発想とは言えないと私は思っているのです。

ですから、こうした両者を繋いだり、

動画などを用いてこうした文化を保存するシステムを構築できればと思っています。

 

 

また

単純に当日の「人手不足」に困っている祭りもあります。

それによって、祭りの継続が困難になっていたり、

長期にわたって延期されていたり、規模が縮小されていたり、

或いは若者が担うべきことを、年配の方がやっておられるなどの事態も発生しています。

この他にも、準備や片付けなどの祭り当日以外においても、

人手不足が理由となって、祭りができなかったり、

或いはその地域の人々にとって、

祭りそのものが色々な面において「負担」になっている場合もあったりします。

 

こうした様々な理由で、祭りの継続が困難になっているような地域に・・・

 

「協奠員」(きょうてんいん)

 

という人材を派遣できないかと考えています。

もちろんこの協奠員というのは、私の造語です。

「奠とは祭りの事、協はそのまま協力」の意味です。

 

つまり、それぞれの問題を地元の方の話をじっくり聞いた上で、

そのニーズに合わせた協力を致したいわけです。

 

目的はあくまでも、祭りの保存のお手伝い。

飲み食いなし、メンバー同士の交流もなし

各人の名前も本名とは別の「神前名」(じんぜんめい)という別名を使用

当日の会話も最低限度、神社と町会などへの寄付を割り勘

祭場までの行き帰りはスーツ着用

必要であれば、もちろん当日前後の準備と片付けもお手伝い。

とにかくひたすら、祭りの保存のお手伝いに徹するのみ。

但し、当日の衣装は、特別な理由がないかぎり、

協奠員専用の、超カッコいい?衣装を着用します。

 

 

・・・・と、

かなりハードルが高いです。

ただ、これは私が、神職として、信仰を持つものとして、祭りを愛するものとして導き出した一つの提案です。

もちろん、私の好き嫌いも多少加わっていますが、

それをなるべく排除した上で、

祭りという日本の文化の保存を(↓ここからが大事)

 

「よそ者がお手伝いする方法」を

 

ストイックに考えた結果が、この「協奠員」というものです。

 

 

できれば、早いこと実施したいと思っていますが、

何しろ、まだまだ発信力が私には足りません。

このブログやユーチューブを通じて、

共感してくれる人が増えたら、

改めてこの提案を行い、

実現させたいと思っています。

 

今はそうなる未来を前に、

私の夢をここに記しておきたかったというわけです。

 

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。