「バトン」の渡し方
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さて
とにかく便利な世の中になりましたね。
実を言うと、私空き時間を利用してウーバーイーツの配達員をやっています。
スマホに登録しておけば、好きな料理がすぐ届くような時代なんですから驚きです。
また、私高校生の時に寿司屋の出前のアルバイトをしていたんです(配達好きですよね)
その当時は、ゼ〇リンの地図を見ながら、
あの通りに出て、何個目の信号を右に曲がって、そこから何本目の十字路を左に曲がった何件目に届ける。
みたいな感じで、行先を頭に入れてから配達に出て、途中で忘れると、地図のコピーをポケットから出して見直したり、店に電話してもう一度確認したりしていました。
でも、今ではグー〇ルマップに行先を登録すれば、カーナビモードになってくれて、その通りに進めば現場に着いちゃいます。(ズレていることも多々ありますが・・・)
世の中というのは、どんどん便利になるし、それを上手に使っていけばいいと思いますし、今挙げたのはほんの一例で、あらゆる分野において、私たちはどんどん知恵を働かせて、便利を追求していくのだと思います。
ただ・・・・
ちょっとこれからは慎重に書かないといけないのですが・・・
神社や信仰の世界というのは、ご存知の通り、昨日・今日できたものではありません。
何年も何百年もかけて、人の手によって継承されたきたものです。
つまり、「伝え手」と「受取り手」がいる。
ということになります。
これが途切れなかったからこそ、神社で言えば今日の神道という信仰があるわけです。
「伝え手」というのは、「受取り手」に対して、
基本的に受け取りやすくして手渡すものです。
みなさんも学校でリレーをやった事があると思います。
その時には「バトン」を次の走者に手渡しますが、
なるべく相手が受け取りやすいように渡します。
「バトン」という物理的なものに限りません、
例えば、会社で誰かが部署が移動になったり、退職する場合も、
引継ぎというものが行われます。
資料をキチンとまとめて、あんちょこみたいなものも作って、
次にそれを担当する人がすんなりとその仕事ができるようにするものです。
しかし・・・・
神道などの信仰の世界というのは、必ずしも「伝え手」が「受取り手」に対して、
何かを伝える際に、全て受け取りやすくすることが正解。というわけではないと思います。
便利な世の中というのは、神社の世界も変わらないのです。
カタログを見て、業者に電話を一本入れれば、お札・お守りも注文できます。
祝詞だって、ほとんど出来上がっていて、一部の空欄を埋めるだけでいい便利な例文集が山のように出回っています。
今まで手書きで書いていたものを、外注して印字したものにすることもできます。
神社における後継者問題というのが、たま~に話題になったります。
簡単に言えば、社家が跡を継ぐ人間がいなくて困っているという話です。
こういう場合「伝え手」というのは、
なるべく「受け取りやすくしてあげよう」と思うものです。
ややこしかったり、時間がかかったり、手間がかかったりするものを、
できるだけ排除することによって、
「ね、あなたの手を煩わせるものではないから受け取って。」
という風になっていくのです。
ですから、どんどん便利なものを取り入れようとします。
しかし、
私個人の意見ではありますが、
業者が作って段ボールで運んでこられたお札やお守りをありがたいとは思えないし、
一部の空欄を埋めた祝詞を読むなんて私としては論外です(例外は除いて)
それに今の世においても、神職はある程度毛筆が書けた方がいいと思います。
つまり私の言っているのは、
ややこしかったり、時間がかかったり、手間がかかったりすることなのです。
でも、
信仰というのは、
あったり前ですが「心」です。
その人の「心」が全てと言っていいでしょう。
ですから、便利を選ばず、敢えて手間をかける方法を取ることもあっていいのです。
そしてこの私は・・・
なるべく、この手を使って、心を込めながら信仰を守りたいと思う人間なのです。
ちょっと今回の記事は伝わりづらい部分があったかも知れません。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
それではまた。