『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

時間の止め方

みなさん、こんにちは。

ご訪問ありがとうございます。

更新に大分間が空いてしまいました。

ユーチューブはそこそこ更新していますので、ご覧になってみて下さい。

そして気づいたことがあって、ユーチューブを更新したら、こちらでもお知らせしてもいいのでは?と思いました。これからはそうしたいと思います。

 

さて

少し前の話ですが、男子大学生と雑談することがありました。

「大学は楽しいですか?」と私が訪ねると、

「コロナで友達と会えないのが嫌だけど、楽しく過ごしています。」

という答えが帰ってきました。

私は「そうかぁ~私は昔に全然戻りたいとか、昔が良かったとか思わないし、今が一番いいと思っているけど、とにかくあなたが今楽しいならよかった。」

と「余計な冠」を被せて返すと、

彼は呆気にとられたような顔をして、「みんな昔が良かったとか言うのに、逆なんですね。」と言われました。

 

恐らくですが、彼は口にはしなかったけど、「社会人や家庭を持った人達は、今のオレくらいの年代の人間を羨ましく思っているのだろう。」という思い込みや先入観みたいなもを持っていたのだと思います。

 

私が「今が一番いい」と思うようになった経緯については、長くなるので割愛しますが、

いわゆる「若かった頃」は健康で、自由で、時間があって、何でも挑戦出来た。みたいに言う人が多く、仕事を始めたり、家庭を持ったり・・・

そして何より「年を取った」という理由で、昔と比べて行動的でなくなった自分を嘆く人がいるのです。

 

私たちは、春に卵から孵化して幼虫になり、やがて蛹(さなぎ)となり、夏に成虫になって、秋に卵を産み、そして命が尽きる昆虫を指さして・・・

 

「短い一生」と言う事があります。

 

確かに短い一生だと感じます。

しかし私たち人間だって、

今生まれた赤ちゃんも、杖をついたお年寄りも、みんな100年後にはいない存在です。

所詮人間の命など、どんなに長くても120年くらいなものです。

赤ちゃんとお年寄りの年齢の幅など、誤差みたいなものだと思います。

地球の歴史、宇宙の歴史からしてみれば、瞬きよりも「短い一生」であるはずです。

 

それなのに私たちは、自分の年齢を妙に気にして、そして若い頃が良い、ましては若い方が価値がある。みたいに思う人もいて、年齢を理由に挑戦を諦めたりする人がゴマンといます。

 

やはりこれは・・・

「時間」

という概念がそうさせているのだと思うのです。

時間がどんどん進むことは、自分が衰えることであり、そして死に向かっていることだと誰しも感じていると思います。

しかし、私は衰えや死というのは、時間が経過することによって起こる現象ではないと思っています。

では何なのかというと、「有る」からだと思います。

物理的に存在しているということは、必ず「無」とセットである必要があるのです。

存在しているから無へと向かっているのです。

衰えとは「有から無へのグラデーション」と言ったイメージで私は捉えています。

そこに時間は関係ないのです。

あるのは「今」だけなのです。

 

ではこの「今」とは何なのか、ですが・・・

よく「今に集中せよ」という言葉を耳にします。

この過ぎゆく毎瞬毎瞬が「今」であり、その毎瞬毎瞬に集中するということなんだろうと私も思っていましたが、最近になって考えが変わりました。

では「今」とは・・・

それが「一生」だと思います。

生まれてから死ぬまで、そのすべてが「今」なんだと思います。

別の言い方にすると「人間時代・期間」または「(氏名)時代・期間」と言った感じです。

こうすると、今まで当たり前のモノとして捉えていた時間という概念が崩れ、

ピタッと時間が止まると思います。(私だけかなぁ(^^;)

 

そうすると、自ずと己の一生を一つの塊として捉えることができると思います。

確かにこの一生で起こる様々な出来事は、ポジティブなものばかりではありません、ネガティブなことも山のようにあり、私たちはいつもそれら一つ一つに一喜一憂します。

しかし、この一生をひとくくりに「今」として捉えることによって、そのネガティブな出来事一つ一つに振り回されることからは脱することができるように思います。

 

私たちは「今」の中に生き、どう生きるかを常に選択しています。

そこで重要となるのが「感情」です。

それぞれがその心身を使って、

正体験を通じて「心地よい感情」を

逆体験を通じて「心地良い感情の真逆の感情」を味わっています。

意識的、無意識的にこれらを選択しているのです。

「今に集中せよ」というのは、この「今」の中にちりばめられた、自分にとって心地よい感情を味わえる方の正体験を選ぼう!ということだと思います。

※「正体験」「逆体験」について詳しく述べた記事が以下です。

「お気に入りの感情」 - 『神主の遺言』

 

そうなると、自分の年齢って気にならなくなると思います。

年齢など一切関係なく、その時々で、ただ心地よい感情が得られるモノを選択する事のみに意識を集中させて生きるだけですから。

今までの時間という概念は、社会生活を営む上で使用される便利な道具くらいに思っておけばいいと私は思っています。

 

久しぶりの投稿で、何だかややこしく、フワっとした感じでしたが、如何でしたでしょうか?

 

 

それでは最後までお読みいただきありがとうございます。