『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「感涙を催す感情」を大切に

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

今日はちょっと伝わりにくいお話ですが、頑張ります。

このブログで何度か申しております通り、

私たち人間はそれぞれの一生の中で様々な感情を味わっています。

例えば

お金がなくて苦しい状況という「出来事」を通じて、「貧しい」・「惨め」・「やるせない」というような感情を体感しています。つまり「豊か」の反対というわけです。

或いは

会社で出世した他の同僚を見下すという「出来事」によって、一見優越感のような感情を得ているようで、その地位を脅かされるのではないかという「不安」やもっと上の立場の人を見て自身の力不足を「嘆く」という感情を味わっているのです。つまり「安心」や「心地よさ」みたいなものの反対ですね。

 

今挙げた感情はネガティブなものばかりで、このブログでもこうしたネガティブな感情を主に扱うことが多かったのですが、一方で私たちはポジティブな感情も味わいます。今までそれに触れたことがないので、今日はその事について考えてみます。

 

みなさんは「感涙(かんるい)」って流すことありますか??

なかなか聞きなれない言葉ですが、要は「感動して流す涙」の事です。

私たちが味わうポジティブな感情とこの感涙は非常に大きな関係にあります。

ちょっと難しいことを言いますが・・・

 

「感涙の素」こそ、元型(アーキタイプ)と直接つながっているトンネルです。

 

私の例を挙げたいと思います。

例えば私で言うと必ず以下の話で感動し、涙を流します。

 

■鑑真和上(がんじんわじょう)

飛鳥時代に今の中国から正しい仏法を日本に広めるため、遥々海を渡って来られた偉いお坊さんです。この鑑真和上を日本へお連れするために、栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)という日本のお坊さんがまず海を渡りました。二人は和上と出会って日本への渡航を計画しますが、何度も何度も何度も何度も・・・船が難破し日本へなかなかいけません。しかも栄叡はとうとう中国で没してしまいます。鑑真和上は6度目の渡航でようやく日本へ着く事が出来ました。その時にはもう目が見えなくなっていましたが、それでも日本に正しい仏法を広め、それだけでなく中国の進んだ様々な技術を日本に伝えてくれました。

 

中野竹子(なかのたけこ)

福島県会津武家に生まれた女性です。戊辰戦争の真っただ中、会津に新政府軍が迫ってきていました。お殿様の姉の照姫というお姫様を守ろうと女性たちが立ち上がり、婦女隊が結成されました。いよいよ戦闘となり竹子以下薙刀をふるって奮戦しましたが、遂に竹子は被弾し絶命します。竹子の辞世は

もののふの猛きこころにくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも

(サムライたちの猛々しい心に比べれば、私など数の内にはいらないけど・・・)

というものです。大河ドラマ『八重の桜』にも登場した人物ですね。

 

■お祭りを支えてくれる氏子さんたち

私が奉仕している神社に限りませんが、日本にはあちこちに神社を支えてくれる人がいます。金銭面で支えてくれる人もいますし、力仕事をしてくれる人もいます。しかし彼らは「ただ神社や祭りが好き」という気持ち「だけ」でやってくれています。頼んでもいないし、お金をもらっているわけでもありません。神主の知らない所で「どうすれば祭りが無事安全に行えるか」「どうすれば皆が楽しめるか」などを話し合っています。それぞれの人生の大切な時間を神社や祭りの為に使ってくれているのです。これ以上の宝ってありますかね?

 

他にもたくさんありますが、キリがないので3つだけにします。

もう読んでお分かりの通り私がどうして彼らに感動するのか・・・

それは「純粋に誰かのために生きようとする姿」を見せつけられるからです。

鑑真和上も、そして栄叡も普照もただただ日本に正しい仏法を広めたい、そうすることで、日本や日本人が救われる。その一念だったはずです。

中野竹子会津の危機に自分に何かできることはないかと考えた末に戦場に立つことを決めました。人間同士が争うことは悲しいことではありますが、彼女の生き方・死に方にやはり他人を思う気持ちが伺えます。

氏子さんたちの姿も同様です。誰に指示されることなく神社や祭りを思ってくれるその心は何物にも代えがたい純粋な人間の美しい心そのものです。ただただ頭が下がる思いがします。

 

感動する箇所というのは本当に人それぞれです。

今ご紹介したのは、あくまでも私が感動する人たちの姿です。

先ほども述べた通り私は「純粋に誰かのために生きようとする姿」に感動を覚えます。彼らの事を思うと自然と涙が溢れます。それぞれ時代や立場も違うのに、同じように涙が流れるのです。

 

これらの話から得る感情こそ、

「いずみしんじ」という人物にとって最もポジティブで心地よい感情であると言えるのです。

そして誤解を恐れず言えば、この感情を体験できる「出来事」を人生の内に作り出すこを、「人生の目的」と言ってよいと私は思っています。

つまり私で言えば、神道という信仰を用いて他人の為に生きる。ということになるのだと思います。そしてそれを具体的な行動として移していけばいいわけです。

 

みなさんは、何度聞いても涙が出る、必ず決まった所で涙が出る。また一つの話ではなく、別の話なのに同じような感情が湧いてきて感動する。というのをお持ちでしょうか?きっとあると思います。

是非その感情を見つめてみて下さい。それがあなたにとって最も心地よく、ポジティブな感情です。

私たちは今個別に分離した存在ですが、元型(アーキタイプ)とも繋がっています。その繋がっているトンネルのようなものこそ、それぞれが持っているこの「感涙を催す感情」なんです。

是非ご自身を振り返ってその大切な感情を見つめてみて下さい。必ずそれぞれの人生をより豊かにするための大事な感情であることに気づくと思います。

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。