「神の声」は誰でも聞けます
こんにちは。
「神の声」という言葉があります。
この他にも「神託」とか「託宣」とか言ったりもします。
これって、神様がそのご意思やご命令を、人に授けると言ったものだと思います。
実は「神主」というのは、神様を自分に乗り移らせて、その言葉を人々に示す役割も持っていたそうです。
他にも、例えば巫(かんなぎ)と呼ばれる女性なども、神の声を聞くことができた人々です。
青森のイタコや、沖縄のユタなんかも、やはり同じように、神の声を聞ける人たちです。
しかし
実はこの「神の声」は誰でも聞くことができます。
「え??そんな能力私にはない!」
と思わると思いますが、そんなことはありません。誰でも「神の声」は聞くことができます。
その声はあなたの「好き」に隠されています。
私たちは、「理由なき好き」と「理由のある好き」の二つの「好き」を持っています。(その逆の「嫌い」も二つありますが今は置いておきます)
始めに後者から説明します。
「理由のある好き」というのは、例えば・・・
みんなに良く思われるから好き
周りの人より自分が優れていると思えるから好き
親などにこれがいいんだよ、と言われたから好き
テレビで有名な人がいいと言っていたから好き などです。
一方「理由なき好き」とは、
誰に何を言われても好き
これを考えているだけでもワクワクする
これをやっている時は時間が経つのも忘れる
人からは大変だねとか言われても、全然苦にならない などです。
人間がこの世界(物理宇宙)に生まれてくる最大の目的は「愛」を確認するためです。
自分は「愛」に満ち溢れた存在であるからこそ、それをより理解するために、物理宇宙という「差」のある世界にやってきます。
そして、それぞれがオリジナルの愛の確認方法を持っています。
ある人は「歌」で、ある人は「政治家」として、ある人は「スポーツ」で、ある人は「母」として、ある人は「職人」として・・・・・
自分の中にある「理由なき好き」に素直に従うことによって、自然と天職というものに導かれます。
「理由のある好き」は実は「本当の自分」にとっては全然興味がないもので、「差の世界」の「競争」という罠にはまってしまっているだけなのです。
先日のブログに書いた通り、神も人も実は同じです。
もう少し正確なことを言えば、「本当の自分」を神と言っているのです。
「理由なき好き」というのは、この「本当の自分」の声(オリジナルの愛の確認方法)なのです。
誰かに何を言われようが、かっこ悪かろうが、人から笑われようが、好きなものは好き!
だから私はこれに没頭する!
という姿勢、つまり「神の声」に従って生きれば、
人間は必ず、その「好き」を通じて適した職業と出会い(あるいは創造し)、そしてお金や名誉のためではなく、
「本当の自分」というもっとも大切にするべき相手のために人生を使います。(自分を愛するということです)
そして、今度はその喜びを他者と分かち合いたいと思うようになります。
もっとびっくりすることを言うと、その「他者」さえも、実は「本当の自分」とつながっているのです。
そして、その他者に対しても愛を注ぐようになっていきます。
「神の声」に従って生きるというのは、こういうことだと私は考えています。
ですので・・・
「なんで神主になろうと思ったの??」なんかを読むとご理解いただけると思いますが、
私は「神道」は「理由なき好き」ではありますが、
イジメられないから、人から立派に思われたいからという、「理由のある好き」に基づいて、この神職という仕事に就きました。
ですから、苦しみが多く、成果が挙げられないのです。
しかしだからこそ、考えることが多く、こうして今までにない「神道の個人救済」という道を開拓しようとしています。
そして、それを「人に伝える」というのは、私にとって「理由なき好き」に入ります。
ですので、まずはブログで、少しづつ私が発見したことを伝えようと試みているのです。
どうぞ、これからの時代は、
一人ひとりが、「神の声」、つまり「本当の自分の声」に従って生きられるようになって欲しいと思います。
それではまた。