神道に「教え」がないは不正確
おはようございます。
さて今日のブログは前回の神様の「教え」の意味の続きです。
結論から先に申し上げます。
神道には「教えがない」とよく言われますが、
これは正確な表現とは言えません。
正しくは
「神道には教えがそもそも必要ない」です。
前回のブログで、中東を起源に持つ「宗教」の「教え」は「生きるため」の知恵が詰まっていることを確認しました。
しかし日本という国はこうした地域とは大きく環境が異なります。
水は豊富にあり、糸を垂れれば魚が釣れ、山には様々な食材があり、種を植えれば秋には収穫ができ・・・
そうした本当に恵まれた土地です。(災害は頻発しますが)
つまり、他者と協力をし、工夫を凝らし、怠けず働くことことによって、それだけの成果を得られる土地柄だと言えるのです。
砂と岩だらけの砂漠の地域とは全く異なる環境です。
だから神様と契約し、その教えに従うことによって、命をつなぐことができる。という発想にはならないのです。
言ってしまえば、生活が苦しかったり、命が繋げなかったりするのは、土地や環境の問題ではなく、
「本人の問題」と捉えらたのです。
ということは・・・・
「答えは本人の中にある」ということになります。
日本にはご存知の通り、「八百万の神々」がいらっしゃいます。
神様一柱ひとはしら、それぞれ個性を持っています。
その個性を活かして、人々を救おうとされています。
要は「分業」なさっているとお考え下さい。
ということは、今生きている私たちだって、それぞれ個性があります。
その個性こそ、あなたが生まれながらに持っている「理由のない好き」なのです。
子供のころに熱中し、時間を忘れて没頭した事を思い出してみて下さい。
それがあなたの「理由のない好き」です。
それがあなたがこの「物理世界(宇宙)」において、
自分をより愛し、他人にその愛を分かち、自他ともに幸せになるための「手段」なのです。
「お金」はその「手段」を扶けるために存在するものです。
ですから、あなたがその「手段」に気づき、実践すれば、「お金」は自然とあなたの元へやってくるはずです。
でも子供の頃にやっていたことなんて、お金にならない、人から認められない、親から反対される、ダサいと思われる・・・云々
と思う人も多いと思います。
大丈夫です。そんなことはありません。最初はそうでもやがてそれはお金を産みだします。
そして何より、あなたの心が平安になります。
少し難しいことを言いますが、
「今に集中」できるようになります。
この「今」という瞬間が、愛や幸せと直接つながっているのです。
どうでしょう。
これでお分かりの通り、
私たちの国日本は、「それぞれの中に良さがあり、それを活かすことが、その人の人生の幸福につながる」
という考えがあるのです。
ここで重要ななのが、「それぞれの中に良さがあり」という所です。
これこそ、まさに「神道の目」です。
「それぞれはバラバラに分離しているが、その中に良い面がある」ということです。
その「良い面」こそ、あなたがもっている「理由のない好き」というわけです。
ですから、神様や教祖様、学校の先生やどこかの偉い人、もちろん親や親せき、果ては自己啓発の本やその指導者・・・
こうした人たちに、あなたの「良い面」はこれです。といちいち言われるまでもなく、
ましてや、こうした人たちの言うことを聞くことによって、幸せになれたり、お金持ちになれたりすることはないのです。
すべては「あなたが知っている事」なのです。
だから、日本の神道には「教え」が必要ないのです。
ご理解いただけましたでしょうか?
是非是非何度かお読みいただき、ご自分が素晴らしい存在であることにお気づき下さい。
私も一緒にそういたします。
それでは。