『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

アーキタイプ(改題し一部修正しました)

おはようございます。

 

 

 

難しいお話になりますが、なるべく分かりやすくお話したいと思います。

 

 

 

 

私たちは、この「物理宇宙」における「地球」という惑星に住んでいます。

 

この「物理宇宙」はと~っても広いものなのですが、必ず「際」、「端っこ」が存在します。

 

宇宙の形はどんな形をしているのはわかりませんが、「果て」があるのです。

 

ではこの「果て」の向こう側はどうなっているのでしょうか?

 

はい、その「果て」の先が、「元型(アーキタイプ)」です。

 

時間や空間がない「一つ」の存在であり、愛・豊かさ・安らぎ・充実・思い遣り・慈しみ・叡智・爽快・・・・などで満たされた【存在】です。

 

その「元型(アーキタイプ)」から一本の線が一直線に伸びています。何兆億光年伸びているかわ分かりませんが、

 

「元型(アーキタイプ)」とつながった線は、「宇宙の際」から地球のあなたの頭上に向かって伸びています。

 

あなたと「元型(アーキタイプ)」は常につながっています。しかしここで重要なことは、「今」つながっているということです。

 

 

私たちはこの「元型(アーキタイプ)」と線でつながっているのですが、頭のすぐ上で、この線が枝分かれしています。

 

枝分かれした先は風船のように丸く小さく膨らんでいます。これが「思考」です。

 

そして、私たちの頭の真上、この「元型(アーキタイプ)」とつながっている線の終点に、大きな「目」がついています。これが「意識」です。

 

私たちは、常に思考しています。思考は言葉を使います。常におしゃべりをしています。そして「私」のことばかりを考えます。

 

この「物理宇宙」を生きる上で、「これは何」「あれは何」「こうやったらああする」「ああなったらこうなる」など

 

この世界のあらゆるものを認識するために、この思考は常に活動を続けています。

 

そしてその中には「前こうだった」や「きっとこれからこうなる」といった、「今」ではなく、「過去」を振り返り、「未来」の事まで予測します。

 

すると危険の回避や保身のために、この過去の情報や未来の予測を使うようになり、どんどんネガティブな発想を起こすようになります。

 

ネガティブな思いでいっぱいにして、行動を起こさせず、危険を回避しようとしているからです。

 

そして、こうしている間、頭上の「意識」という「目」は、ずーっと「思考の風船」を見つめています。

 

この「思考の風船」は見つめられると、どんどん、どんどん膨れ上がってきます。

 

それはそれは、大きく膨れて最終的に、私の体を押しつぶします。これが精神な苦しみに悩まされる状態です。

 

意識と言う目がこの思考の風船を見つめれば見つめるほど大きくなり、そしてこの思考の風船そのものが、

 

「私」であると勘違いしてしまいます。しかしこれはあくまでも、「思考の風船」であり、「本当の私」ではありません。

 

この状態から抜け出すためにはどうすればよいでしょうか?

 

そうです。「意識」を「思考」からずらすだけです。

 

たったそれだけで、思考の風船はどんどん小さくなっていきます。

 

意識の「目」を「元型(アーキタイプ)」とまっすぐつながっている「線」に向けます。

 

何兆億光年先かはわかりませんが、距離なんてどうでもいいのです。

 

あなたとつながっているその線に意識を向けると、自然と過去と未来という時間はなくなり、

 

「今」にアクセスします。

 

つまり「元型(アーキタイプ)」とつながるのです。

 

思考を使って過去や未来の事を考えている時は、絶対に「今」という瞬間には立てません。

 

意識を「元型(アーキタイプ)」に向けた時、初めて「今」に立てるのです。

 

この「元型(アーキタイプ)」から地球に住む人類であれば、74億の線が地球に向かって伸びています。

 

しかしこれは人類だけの話で、他の命あるものすべてにこの線は「それ」から伸びています。

 

物凄い数の線がこの地球に向かって伸びています。しかしこれは地球に限ったことで、他の惑星に命があるものがあれば、それにもこの線は伸びているのです。

 

しかし・・・・

 

もとはすべて「一つ」の「元型(アーキタイプ)」です。

 

愛に満ちたたった「一つ」の「元型(アーキタイプ)」なのです。

 

これでお分かりの通り、命とは実は「一つ」なのです。

 

それが、この「物理宇宙」では、別の人、別の動物、別の種族といった、バラバラの個体として「肉体」を有しているだけなのです。

 

そしてその肉体を通じて、様々な体験をし、そして肉体が滅べば、その線は、「元型(アーキタイプ)」に向かって引っ込んでいきます。

 

これが私たちが言っている「死」なのです。

 

「元型(アーキタイプ)」はこの方法を使って、自らを「知ろう」としているのです。

 

この「素晴らしい私」についてより深く理解しようとするために、こうした手法を取っているのです。

 

 

この真理を理解している人は、この「元型(アーキタイプ)」を「神」と言ったり、「高次の存在」と言ったり、「ハイヤーセルフ」と言ったりしているようですが、

 

私は拝んだり、崇拝することはしません。

 

むしろ私そのものが、「元型(アーキタイプ)」であり、命あるものすべてが「元型(アーキタイプ)」であり、尊い存在だからであり、拝んだり、崇拝するのではなく、

 

「存在していることをお互いに称え、祝うべきなのです」

 

 

少し難しいと思いますが、何度かお読み頂ければと思います。

 

それでは今日はここまで、最後までお読み頂きありがとうございます。