『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

神社へ行く前に

おはようございます。

 

 

 

 

日々神社の神様にご奉仕する人間が言うのもおかしいと思うかも知れませんが、

 

神社に毎日お参りをしようが、

 

家に神棚を設置して、拝もうが、

 

御朱印を集めようが、

 

パワースポットと呼ばれる神社やお寺などに足しげく通おうが、

 

神社や神道の知識をたくさん身に着けようが、

 

開運のために風水を生活に取り入れようが、

 

占い師のいうことをちゃんと聞こうが・・・・・・・・等

 

 

 

ご自分を愛していなければ、なんの意味もありません。

 

もっと言えば、ご自分の価値を「知り」、ご自分が完璧であることを「知れば」、

 

はっきり言ってオールOKです。

 

ご自分の価値を「信じ」、ご自分が完璧であることを「信じれば」ではあ・り・ま・せ・ん!

 

ご自分の価値を「知り」、ご自分が完璧であることを「知る」です。

 

自分は完璧であり、自分はこれ以上ない価値を有しているのだと、気づいただけで、

 

あなたは幸福の世界の扉をガチャっとあけることができます。

 

あとはその世界に飛び込めばいいだけです。

 

そして、ご自分の「理由のない好き」に従って行動をして下さい。

 

それが「本当の自分の声」です。

 

その声に従って生きていると、先ずはあなたが自身が心地よい時間を過ごすことができます。

 

しかしやがて、他人に対してもその心地よさを広めよう、伝えようとしてくるはずです。

 

これが好きなことが仕事になるということです。

 

 

 

神や仏に祈ったりすることはとても美しい人間の姿です。

 

しかし絶対に忘れないでください。

 

それは、神や仏が「大きく」、祈っている人間が「小さい」のではありません。

 

あるいは、神や仏が「尊く」、祈っている人間が「卑しい」のではありません。

 

神も仏も尊く、人間もまた同じように尊いのです。

 

神や仏と呼んでいる「他人のために生きた人」の姿を見ることで、

 

自分にもまったく同じように「他人のために生きられる」もの(理由のない好き)を持っており、

 

それを活かせば自他共にこの物理宇宙において、幸福に生きられることを示唆しているのです。

 

神道であれば、多くの神社に鏡が置いてあるのは、このためです。

 

「あなたが尊いのですよ」とあの鏡は言っているのです。

 

その尊いあなたを、あなた自身がその価値を疑ったり、信じてあげないというのが、最大の不幸なのです。

 

これが統合神道の考え方です。

 

是非参考になさってみて下さい。

 

それでは。