悪魔の笛
おはようございます。
さて、今日のお話は・・・
こちら → 悪魔の正体
を、もう少し掘り下げて、本当の本当の悪魔の正体について考えみたいと思います。
キリスト教の祖、イエス・キリストは「荒野の誘惑」の際に、悪魔から3つの誘惑を持ち掛けられています。そしてこれらを悉くはねのけました。
その中でも私が一番注目する箇所があります。それが以下です。
悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」
自分で自分を絶望した人間は、その後3つの道をたどります。
一つは、自分で自分に絶望した後、他人から奪ってやろうと決意する人
二つは、自分で自分に絶望した後、他人の評価にすがって生きようと決意する人
三つは、その他です。
一つ目は、「分かりやすい悪魔」として、弱った人間からあらゆるものを搾取していきます。
そしてその弱った人間というのが、実は二つ目の「他人の評価」にすがって生きようとする人であることが多いのです。
私は私の経験として、搾取されるという生き方をしてきました。
つまり、私は自分に自分を絶望した後、他人の評価にすがって生きようと決意した人間だったということです。
「分かりやすい悪魔」はどのようにして、相手をコントロールするかと言うと、それは「尊敬」と「軽蔑」の魔術を使います。
あなたを尊敬しているという、言葉や態度を使って、相手をおだて、貢物を差し出させるのです。そして突然、人前で「軽蔑」の言葉や態度を表し、元の「尊敬」の言葉や態度を欲しがらせるのです。これを繰り返すことによって、「分かりやすい悪魔」はターゲットから金・時間・物・労力・知恵などあらゆるものを差し出せ、最終的にボロボロになって「捨てる」のです。
私はその「半歩」手前で、気づき、優しい誠実な人に助けられ、今に至っています。
数年前、私の首には死神の見えない大鎌があてがわれていたはずです。
はっきり言って三途の川の渡し賃をすでに払い終え、イザ出発。というところまでだったと思います。
「分かりやすい悪魔」はなぜ、この「尊敬」と「軽蔑」の魔術を巧みに使いこなせるのでしょうか?
その答えはとてもシンプルです。
「自分と同じく、自分に絶望している人間は他人から「尊敬」されることを何よりも欲していることを知っているからです。」
つまり、「他人の評価」にすがって生きようと決めた人間は、実は何よりも人から「尊敬」されることを願っているのです。
「分かりやすい悪魔」はそれを知っているから(だって自分だってそうなんですから)魔術を操ることができるのです。
ここまでお読みいただけたらお分かりの通り、
「悪魔は尊敬されたい」のです。
キリストと誘惑した悪魔は、キリストに何を要求したか?
先ほどの赤文字が答えです。
「もしあなたがわたしの前にひざまずくなら」
つまり、悪魔はキリストという聖なる人に拝んで欲しい(崇拝して欲しい)と言っているのです。
ということは、「分かりやすい悪魔」である、他人から奪ってやろうと決意した人間も、確かに悪魔は悪魔ですが、
その一方で、「他人の評価」にすがって生きようと決意した人間も、一見するとかわいそうな被害者のように見えますが、
実は「尊敬して欲しい」という欲求を強くもっているという点において言えば、「悪魔」とその本質は変わらないのです。
ではなぜ、両者が二種類の「悪魔」として生きることになったのを考えないといけません。
それが、やはり両者に共通している、「自分で自分に絶望した」という点にあるわけです。
色々な難しい言い方ができるのかも知れませんが、
たった一言で、これを表現すれば、
「自分が嫌い」
ということです。
この言葉こそ、まさに人間の心に悪魔を呼び寄せる「悪魔の笛」なのです。
生きていれば、ネガティブな出来事は山のように起こります。
こうした経験を積んでいくにつれ、
時に、人は「自分が嫌い」という気持ちに陥ることがあるのです。
その「自分が嫌い」という思いが、「悪魔」を心の中に呼び寄せ、住まわせてしまうのです。
精神的な苦しみの渦中にある人にとって、
自分が嫌いというのが、むしろ当たり前の事であり、
自分を愛する、自分を認めるという感覚がつかめません。
よ~くわかります。
しかし、繰り返しますが、「自分が嫌い」というのは、
心の中に「悪魔」を産み、それがその人の人生にさらなる悲劇を作り出していくのです。
「悪魔の笛」をいきなり捨てるのは難しいかも知れません。
しかしその笛の存在に気づき、少しでもその笛を吹かないようにする時間を作ることはできると思います。
少し長くなりました。
何かの参考になれば幸いです。
それでは。
(この記事はYORISOI並びに『神主の遺言』で一部内容を変えて共有しています)