『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

私とあなた

おはようございます。

 

 

このブログは毎回毎回「遺言」のつもりで書いているので、真剣に書いています。

ただ今日はその中でも特に真剣に書きます。

最後までお付き合いください。

 

このブログを読む前に、できればこちら↓も合わせて読んで頂きたいです。

日本が「嫌いな人」は一度お読みください(長文ですが)

 

 

 

それでは参ります。

 

日本の剣道や柔道などでは、常に選手に対する戒めとして以下のような言葉があります。

「相手を敬え」「相手に礼を尽くせ」

と言ったものです。

 

人間性というのは、勝った時に表に出るそうで、「試合に勝った!勝った!」と己の勝利を喜んでいるようでは、全然「武人」としての心構えができていないと言われます。

つまり、

 

「相手がいたから勝てた」「相手がいたからこの試合が成立した」

 

という、相手がいたから、自分という存在があり、そして勝利することができたことに、感謝ができなければならないということです。

 

本当に謙虚な姿勢というのが、ここから伺い知ることができます。

 

これは、何事にもそれを構成する【要素】がある。ということです。

 

剣道であれば、私・相手・ルール・竹刀・胴衣・会場・審判

凡そこれら7つの【要素】があるから、「剣道」という「体(てい)」が成立するわけです。

 

これは別に武道やスポーツに限ったことではありません。

例えば

鉛筆は、芯・木・塗装・文字の4つが【要素】となって、鉛筆の「体(てい)」となります。

魚釣りは、釣り人・餌・釣り竿・魚が【要素】となって、魚釣りの「体(てい)」となります。

 

それぞれを構成するためには、最低限これらの「要素」が必要であり、何か一つ欠けると、それは別のものになってしまいます。

芯が無い鉛筆は、鉛筆とは言いません。木の棒の真ん中が空洞になっている何かです。

釣り竿がない魚釣りは、人が餌を岸壁で手に持ちながら海を見つめている何かになってしまいます。

 

ですから、これらは「お互いがお互いを必要」としているのです。

お互いが、「鉛筆になる」という目的を持っていて、それぞれがそれぞれの「要素」としての役割を果たし、ちゃんと「体(てい)」を成す。というわけです。

 

従って、剣道の「相手を敬え」というのは、まさに相手という存在を、私が必要としているからこその言葉であり、試合の勝ち負け以前に、「剣道の試合をする」というお互いの共通の目的があるから、こうした教えが受け継がれているのだと思うのです。

 

さて、それでは・・・

 

「日本」を構成する「要素」は何でしょう?

 

絶対に、絶対に、絶対に、学校で教わらないことです。

なぜなら、これを知ると「日本人が統合しやすくなる」からです。

戦後の日本のメディアと教育は、日本人の統合を阻止する使命を帯びているので、学校では当然教えてもらえないのです。

そして・・・・

大変残念ですが(ごめんなさい、ちょっとディすります)

これを教える立場にある神主がいないのです。(少なくとも私は見たことありません)

※これにもちゃんと理由はありますが、割愛します。

 

日本を構成する【要素】・・・・

 

それは

 

「国土」・「天皇」・「国民」・「神道」です。

 

この4つが欠けてしまうと、それは「日本」ではなく、違う「何か」になります。

何になるかは私は分かりません・・・

 

これを「国体」と言います。

 

剣道・鉛筆・魚釣りの例の通り、やはりこれも、「日本」という国を構成するという共通の目的を達成するために、「お互いがお互いを必要とし」そして「敬って」いるのです。

 

よく「天皇はなぜ偉いのか」みたいな議論になりことがあります。

天皇や皇室を愛する人も、

天皇や皇室を嫌う人も、

それぞれご意見を持っているのですが、この「国体」を論じる方がとても少ないのです。

 

天皇は国民の安寧を祈って下さるから尊い

天皇は外交でもとても国に貢献してくれているから尊い

天皇は伝統を守ってくれているから尊い

など、天皇や皇室を愛する人はこうした理由をよく挙げておられます。

 

確かにそうなのですが、それは天皇の果たす「役割」を言っているのです。もっと本質的な事は・・・

 

「存在しているから尊い」ということです。

 

ということは、私たち国民も

 

「存在しているから尊い」のです。

 

そしてもちろん「国土」も「神道」も

 

「存在しているから尊い」のです。

 

つまり尊いのは「天皇」だけではないのです。

日本を構成する4つの【要素】が「お互いがお互いを必要としている」から、お互いが尊いのです。

 

何度も申しております通り、私たちは「存在しているから尊い」のです。

その「存在しているから尊い者」同士が、

一つの目的である「日本」を構成し、そして未来へとつなげているのです。

そのために、それぞれの「役割」を果たしているというわけです。

 

つまり(↓ここから大事です)

 

「私は日本を構成する一つの要素なのだ」

 

と自覚することによって、

「私が何者なのか」が見えてきます。

 

つまり、「私は日本人である」という当たり前だけれども、

今までそれが、ただの日本という地域に住んでいる人間という感覚から、

「一人の重要な役割を持った日本人という尊い存在である」ということに気が付くのです。

 

自分は何者でもない、尊敬されるような人物ではない・・・

という悲しい「幻想の霧」に一条の光が射しこむはずなのです。

 

これは、右翼とかイデオロギーとか、政治とか戦争の話をしているのはありません。

 

「心の話」をしているのです。

是非、それに気が付いて欲しいと願っています。

 

日本には、孤独な人間がいないということです。

孤独は無価値を誘引します。

しかし日本には誰一人、孤独にならないように、

「統合」という役割を持つ存在を置いたのです。

それが天皇です。

 

私たちはつながっている。

私たちは結ばれている。

 

とかくこの物理宇宙(世界)では分離の孤独を感じやすくなっています。

それを避けるために、日本人の知恵として「天皇」を置いたのです。

それは何より、「存在しているから尊い」、「あなた」が大切だからこそなのです。

 

この素晴らしい国を、未来へつなげていきましょう。

 そして、あなたが活き活きと生き、その役割が果たせるよう願っています。

必ずできますから。

 

 

それでは、また。