お守りをゴミ箱に捨てる日
ご訪問ありがとうございます。
さて今日はこんなお話。
お守り・お札・注連縄・正月飾り・・・
ひな人形・五月人形・ぬいぐるみ・・・
など・・
こうしたものって、なんとな~く、ポイっとゴミ箱に捨てる気にならないですよね。
私が奉仕している神社ではお正月の前後にお焚き上げ行っていて、
原則として神社で頒布したお守りやお札を燃やしているのですが、
いちいち神主に「これも入れていいですか?」なんて聞きに来る人も少ないので、
結構みんな勝手に色んなものを入れています。
中には使い終わった財布・手紙やはがき・古い写真・仏壇・盆提灯・・・・
とにかくこういったものを見ていないと思ってどんどん入れています。
正直言って困っています。
ただもっと困るのが、お焚き上げが終了してからも持ってこられるパターンです。
段ボールいっぱいに色んなお札やお守りなどを入れ来られる場合もあるし、正月が終わって2月くらいまでならまだしも、
真夏の8月くらいに、正月飾りを持ってきて、燃やして下さい。と言ってこられる人もいます。
一応当社では、神社のもの(他の神社も含む)であればお預かりしています。
受付で仕分けをして、お寺のものや明らかに神社のものではないものはお返ししています。
それでも数か月で段ボール10箱くらいになってしまうので、ドラム缶を加工して作った焼却炉で年に3回くらいは時期はずれのお焚き上げを行っています。
この「お焚き上げ問題」は結構深刻でして、特に都市部では境内でお焚き上げがそもそもできない神社がほとんどです。
煙を出せばすぐに消防に通報されたりしますし、聞いた話ですが、お焚き上げをしていたら、近所のマンションに住んでるらしい女性が水を入れたバケツを持ってきて、お焚き上げの火にぶっかけた・・・なんてこともあるそうです。
ですので、都市部の神社のほとんどが、産廃業者に頼んで処理してもらっているそうです。これだってもちろんタダではないし、年々値上がりしているそうで、やはり困っているみたいです。
私はこうしたお守りやお札に限らず、なんとなく捨てにくいものを総じて「着念物・品」と呼んでいます。
人の気持ちや思いが特に付着したモノという意味です。
確かに先に述べた通り、お守りやお札に限らず、色んなものをお持ちになるのは困りますし、変な時期にお持ちになるのも本当に困っています。
しかしここで一番大事なことを見逃してはいけないのです。
それは・・・・
「(着念物)はなんとなく捨てにくい」という心理にこそ、日本人の「神道覚」が投影されているからです。
つまり、神社に来てお参りをする。という感覚と、お守りやお札等をゴミとして捨てられないという感覚は、共にありがたいものを拝み、それを粗末にはできない。というまさに日本人の持つ「神道覚」の表れということなのです。
ということは、もし将来の日本人の大半が、
お守りをゴミ箱に捨てるようになった場合、
それは同時に、日本人が神社などの見えないものに対して、ありがたさを感じなくなった時ということになるわけです。
(って中には今でも「ありがとうございました」っていってゴミ箱に捨てる人もいるようですけどね、でも今のところ少数なはずです)
つまり、やはり色んな着念物をお持ちになったり、変な時期にお持ちになる方も、日本人の大切な感覚である「神道覚」をちゃんと持っていらっしゃるわけで、こうした方々の感覚があるからこそ、神社というものが今にまでちゃんと存在しているのですから、神職としてはありがたい存在だなぁ。
と思うべきなんでしょうね。
それでは今日はここまで、
最後までお読みいただきありがとうございます。