『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

今こそお参りするべき神社

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

今日はザーザー振りです。

寒いし風邪などひかないようにして下さい。

 

 

さて

「参拝してはいけない神社」について

という記事を結構前に書いたのですが、この記事を書いたきっかけというのが、

ユーチューブのとあるチャンネルで、このタイトル通りの動画がアップされていたのをみたからでした。

そして、この記事には取り上げなかったのですが、動画には参拝してはいけない神社をいくつか挙げていて、その中に「疫」や「疱瘡」と言った文字が入った神社もお参りするべきではない。と述べておられますが・・・・・

 

 

え~っと・・・・

真逆です。

特にこんなご時世ならなおさらお参りしてください。

 

とにかく大前提として「お参りしてはいけない神社」なんてありません。

神社である以上、どんな神社だろうがお参りするためにあります。

「不祀不祭」(ふしふさい)と言って(これは私の造語ですが)

世の中の悪い事というのは、神様を祀らないことによって起こるのです。

なが~い日本の歴史を振り返れば多くの人が気づくと思います。

 

海や山の神が暴れないように丁重に祭りを奉仕したわけですし、

或いは祟ってしまったから、余計に丁重に祀ったわけです。

例えば「学問の神」で有名な菅原道真公は太宰府の地で憤死されます。

その怨霊がまさに祟りとなって宮中に現れ災いをもたらしたから、

時の為政者が恐ろしがり、道真公を「天満大自在天神」という神として祀ったのです。

そして、丁重に祀り続けたから、今度は私たちに幸福をもたらす神と信じられるようになったのです。

 

「疫」や「疱瘡」の文字が入る神社というのは、神社によっても縁起は異なると思いますが、まさに「祟った神」の怒りをおさめ、鎮めてもらったからこそ、そこに神社として存在しているわけです。

それを悪い事が起こるからお参りしない方がいいなんて、真逆もいいところです。

(ごめんなさいね、ちょっとキツイ言い方ですけど)

 

日本の神というのは祟ります。

祟る条件で、最もポピュラーなものが、「不祀不祭」です。

つまり「無関心」です。

 

人間だって同じです。周りの人から一切無関心でいられれば、

どれだけ心がすさび、苦しい思いをするでしょう。

そして、その心の苦しみが、やがて様々なネガティブな表現として表れます。

暴飲暴食・リストカットなどの自己破壊、乱脈な人間関係、経済の破綻、他者への攻撃などなどです。

 

「無関心」は「無価値感」をダイレクトに誘引します。

 

そして、その大切な人生を破壊してしまうのです。最悪の場合自殺です。

神も人もなんら変わりません。

ですから、「お参りしてはいけない神社」なんてないし、「無価値感」に苦しんでいる人には寄り添って話を聞いてあげることが第一なのです。

 

もしお近くに「疫」や「疱瘡」の文字が入った神社あれば、

こうして疫病が流行している今だからこそ、お参りしてください。

そしてご自分だけではなく、地域全体、日本全体をお守りくださいと祈ってみて下さい。(世界全体じゃないのか?というご意見もあるでしょうが、それはお任せします。ただ日本の神には「境界」というものが存在します。ですから私は日本だけに留めたのです)

きっとそのお力を発揮して下さり、よい方向へと導いてくれると思います。

 

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂きありがとうございます。