私たちが持っているもの
こんばんは。
ご訪問ありがとうございます。
ヘレンケラーという人の名前を聞いたことがあると思います。
自身が視覚と聴覚に障害を持っていましたが、教育と福祉の発展に尽力した人物です。
幼いころの彼女は、些細なことですぐに怒り、
表現は悪いですが・・・獣のようだった・・・・と聞いたことがあります。
しかし両親やよき指導者に恵まれ、彼女はあるものを手に入れました。
それが【言葉】でした。
視覚・聴覚に障害を負っていたため、健常者のように言葉を習得することが難しかった彼女は、それまで【言葉】というものを知らなかったのです。
ところが、指文字などを用いて言葉を知り、そして彼女は話すことができるようになったのです。
すると、獣のようだった彼女が、みるみるうちに利発な少女へと変貌し、
やがて高い学識を得て、冒頭述べた通り教育・福祉の発展に寄与し、
彼女は「奇跡の人」とまで言われるようになりました。
非常に印象的な言葉を覚えています。
昭和12年、彼女が日本にやってきた時の事です。
ちょうど彼女が日本に来た時、季節は春真っ盛り、桜が咲き誇っていました。
介添えの人に手を引かれ、彼女は桜の枝に手を伸ばしました。
そして・・・
「これが日本の心なのねぇ」
としみじみと語ったのです。
みなさんもうお気づきだと思います。
もし、彼女が【言葉】を習得しないままでいたら、
桜の枝に触れ、それが「何か」を認識できず、
その桜の枝でさえ、恐れて牙をむきだして怒ったかも知れません。
しかし【言葉】があったから、それを何であるか認識し、
そして「日本の心」であることを感じとれたのです。
【言葉】・・・・・
それはこの世界(「物理宇宙(世界)」を認識するためにあります。
目の前にあるものが、一体何なのか。それに一つづつ名前があるから、
世界を「整理」してみることができるのです。
しかし【言葉】がなければ、それが何なのかわからない。
だから言葉を習得する以前の彼女は獣のように、怯え怒ったのです。
つまり【言葉】とは、混沌を秩序へと導くために、
私たち人間だけが持つことが許されたものなのです。
しかし、私たちはこの【言葉】が、今述べたように、
どれだけの奇跡が重なり、今こうして手にしているかを忘れてしまいます。
まさに「あって当たり前」という傲慢です。
そして、これをゾンザイに扱ってしまうのです。
他人と・・・そして自分を傷つけるために【言葉】を使うようになってしまうのです。
時に【言葉】はおろしたてのカミソリのように鋭く、
時に【言葉】はアイスピックのように尖り、
時に【言葉】はよく鍛えた日本刀のような切れ味を持ちます。
或いは、鉈のように力強く、矢じりのように的を目掛け、のこぎりのように切り刻みます。
カミソリもアイスピックも日本刀も・・・
人間の生活を助け、より豊かにし、命を守るために存在しているのに、
それを誤った方法で使うのと同じように、
私たちは【言葉】を人を傷つけるために使ってしまうのです。
今一度確認しましょう。尊い犠牲から学びましょう。
私たちは、この「物理宇宙(世界)」という最高のフィールドを認知するために、
そして「これが日本の心なのねぇ」と分離した相手を思いやり、互いの心を通わすために手にしたものが何なのかを・・・・
木村花さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後までお読み頂きありがとうございます。
それでは。