『神主の遺言』

『統合神道』唯一の神主のブログ。それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

親や家族への「恨み」をお持ちの方へ

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

今日は読む人にしてみると、

ちょっとムッとするお話かも知れないのですが、敢えて。

やや長文です。(この記事はYORISOIと共有しています)

 

 

ラーメン屋さんに入って、「カレー下さい」とは言いません。

本屋さんに入って、「Tシャツ下さい」」とも言いません。

マッサージ屋さんに入って「電池売り場はどこですか?」とも言いません。

つまり

「無いものは無い」ということです。

私たちはラーメン屋にカレーがないのを知っています。他の例も同様です。

最初から無いのだから、注文もしない。それだけなのです。

当たり前ですが、ラーメン屋にカレーがない!と言って、

もし怒ったら、それはちょっと考えを改めなけばいけません。

怒っている本人に問題があります。

 

 

或いは

Aというラーメン屋とBというラーメン屋があって、

Aは激うま、Bは激マズだとします。

両方の店に入って、それぞれのラーメンを食べた後、

Bのラーメン屋に「なんでこんなにマズイんだ!Aと同じくしろ!」とは言いません。

AとBは違う店なので、これも仕方がないのです。

「Aはこういう味付けだった」「こんなに仕込みに時間をかけているんだ」

「麺はこだわり自家製麺だ」といちいちBに報告し、改善を求めたりしません。

 

・・・

 

私たち人間はそれぞれの生まれ育った環境(家族)というものの影響をものすごく受けます。

もちろん私も同じです。

そして、心に苦しみを抱える人、精神的に苦しい人というのは、往々にして家族との関係に何か問題がある人や、あった人が多いのです。

そうした家族関係の中で育ち、例えば代表的なもので言えば、

「私はダメな人間」と書かれたガムテープを体にベタっと貼り、

長く苦しみの時を過ごす人がいるわけです。

 

自分の心の苦しみの原因は親を始めとする「家族」にある・・・

 

という「発見」は、当然苦しみから逃れるために必要な発見です。

そして、なぜあのような「家族」が出来上がったのか、という問いが生まれます。

家族を構成する一人ひとりについて、深く考察し、本人の気持ちや立場になって考えみると、やがて「それも致し方ないな」と納得するようになるのです。

しかし、誰しもそうですが、同時に「恨み」も沸いてきます。

子供という弱い立場にある者に対し、明らかに不適切だと思われる言動の一つひとつを思い出すと、腹が立つし、問いただして反省と謝罪を求めたくなるものなのです。

 

しかし・・・

 

「無いものは無い」のです。

 

家族によっては、子供に対して注ぐべき愛情が無い場合もあるのです。

それは非常に不幸なことではありますが、無いものは無いとしか言いようがないのです。

もちろん「無い理由」も探ればちゃんとあるでしょう。そしてその理由がわかればまた一つ納得するかも知れません。

しかし重要なことはその理由がわかったとしても、事実は何も変わらないのです。

「無いものは無い」から腹を立てても仕方ないのです。

 

ラーメン屋でカレーがないのは、店主がラーメンが好きだったという「理由」やラーメンが一番儲かるからという「理由」だったかも知れません。

だからラーメン屋なのです。カレーがないのは当然です。

だから腹を立てても仕方ないのです。

 

自分の家族と、他人の家族とを比べて、自分の家族がダメであったとしても、

それは別の家族だから仕方ないのです。

しかし私たちは、「ああだったらなぁ~」「こうだったらなぁ~」と自分の家族の悪い点を探して嘆くのです。

確かに子供の頃はその家族から離れることはできなかったでしょう。

しかし大人になったら、そこから離れる選択を下すことは可能です。

つまり、Bという激マズラーメン店しか行くことを許されなかったけど、

大人になったら、Aの激うまラーメン店に行くこともできるようになるし、

Bにはもう足を運ばないと決めたっていいし、我慢して月に1度くらいは顔を出すことも自分で決められると思います。

 

 

なんだか元も子もないような内容だったと思いますが、

この話をちょっと別の言い方にすると、

「親は子供愛するのが当たり前」

もっと縮めると

「私は与えられるのが当たり前」

という無意識下での「思い込み」を私たちは持っているということです。

ですから、「それを当たり前だと思っているのはあなただけですよ。」

という話なので、中にはムッとする人がいるかも知れないと冒頭述べたのです。

 

もちろん親であれば、子供を責任もって育て、愛情を注ぐのがベストです。

しかし残念ですが、全てが同じではないし、家族によって愛し方も違うし、やり方も違う、中にはそれが愛情だと思っていても、全く逆の場合として伝わることもある、中には「皆無」ということもあるのです。

 

ですから、もしこうした苦しみを抱え、家族に対しての恨みを持っている人は、

実は「私は与えられるのが当たり前」という「思い込み」があるから、

そうされない事実に腹を立て、他者と比較し苦しんでいる場合があるのです。

 

ですからそのあなたを苦しめる思い込みを捨て去り、

とにかく、何よりも、今、ここに一人の「私」という人間が存在しているという事実のみに集中して欲しいのです。

そしてその一人の「私」には・・・

「体」が備わっている、思考する力がある、好き・嫌いが備わっている、得意・不得意がある・・・・

誰かをその手で癒してあげることができる、大切な人の事を思い遣ることができる、好きなものを追求することができる、得意なことで人を喜ばせることができる・・・

 

そうですあなたが「与える人間」であることに気づくはずです。

そうなれば、「私は与えられるのが当たり前」という「思い込み」はどんどんあなたの無意識から排除されていくでしょう。

そして「生き方」そのものが変わっているのです。

 

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。