『神主の遺言』

『統合神道』唯一の神主のブログ。それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

日本人が知っている真実

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

9月ももう半分が経ちました。

都会にいると解りませんが、この時期になると彼岸花が咲きますね。

あの赤い花を嫌う人もいますが、私は大好きです。

なんか繊細な花の作りが何とも言えない魅力を発しているように子供のころから感じていました。みなさんはいかがでしょう?

 

 

さて、今日のお話は・・・

 

私たち人間は「服」を着ます。

地域や民族によっては服を着ない人たちもいますが、基本的に服を着ます。

人間の肌は動物の肌と違って毛に覆われておらず弱いです。

たまに毛がない動物もいますが、地中深くに住んでいたりする生き物で例外です。

 

人間は肌を守ったり、寒さを防いだりするためにやはり服を着るのです。

服はそれだけではなく、地位や身分を表すものとしても用いられますよね。

私たち神主にとって一番「重い服」は正服というジャンルで「衣冠」(いかん)と言います。実はこの上の「束帯」(そくたい)がありますが、神主は着ません。

※この「重い服」というのは物理的な重さではなくて(実際重いですが)、重要性という意味で、重いという表現を用いています。

 

西欧では男性のモーニングコートや女性のローブデコルテなんかが正装と言われるんだと思います。この他にも燕尾服とか色々あって、実を言うと私、こうした西欧の服制が大好きで、数年前までズラリと所蔵しておりました。(今はほとんど処分してありません)

 

このように人間は地域によって、服を様々に発達させ、意味付けをして今日に至っているわけですが、聞いた話によると日本のお近くにある、中国や韓国の人たちからすると、日本人の全く理解できない習慣・習俗があるそうです。

 

それが・・・「裸」です。

 

中国や韓国・朝鮮の人たちにとって、人前に出で裸になるというのは、民族全体の価値観として、あり得ないそうで、必ず衣服を身に付けるというのが鉄則なんだそうです。

 

ところが如何でしょう?我が国日本の「裸文化」

年がら年中、暑さ寒さに関わらず、祭りでしょっちゅう男たちは下帯一枚の裸姿です。全裸のお祭りも実はあります。

宴会では服を脱ぎ始めて裸踊りが始まります。

「私は裸一貫!ゼロから始めてここまで来ました!」とスタートを裸であったと表現することがあります。

今から150年前、明治時代になって政府は「これからは文明の時代だから裸になるな!」とお触れ書きを出しました。

漁師も大工も飛脚も駕籠かきも農民も・・・少し前の日本は多くが裸かそれに近い格好でした。

もっと言うと、今この現代においても「裸で外を歩かないで下さい」という看板が掲げられている地域も存在します。

 

そして、もし日本人の女性がこれらを「男性の野蛮な習慣」と考えていたら、

日本人男性が外で裸になることはなかったでしょう。女性がこれを認めていたからこそ、男性は外で裸になれたのです。

 

もっと言えば、これは複数どころではない人数の女性の声を、私が直接聞いた話ですが、祭りで男性が下帯だけの姿、或いはそれに近い格好でいることに対し、女性は「かっこいい」と感じているのです。

祭りという男性性が優位になる空間において、こうした姿は男性性がより強調されるため、日本人女性には魅力的に映るというわけです。

しかしなぜでしょう?

なぜ、男女ともに日本人は「裸」でいることを、悪とせず、むしろ積極的なのか・・・

 

な~んて、深く考えなくても、私たち日本人だったら、すぐに「答え」はでますよね。

 

そう・・・「穢れがないから」でしょう。

生まれた時の姿が、穢れがなく清い存在であることを無意識に理解しているからです。

 

だから祭りであれば神様の前に近づく時にはなるべく穢れのないように裸になるのです。

或いは昔の職人が裸で仕事をしていたのも、「正直」な仕事をすることが良いことだという価値観があったからこそ、裸でそれを表現したんだと思います。(もちろん無意識的に)

「裸一貫ゼロからのスタート!」と自身のこれまでの歩みを演説している社長さんも、そして聴衆も、裸という状態が穢れのない良い事だとお互いに思っているから、なんの違和もなくその話を聞いているわけです。

 

ですからもうお分かりですね。

「ありのまま」が素晴らしい。

という価値観を持つ国に私たちは住んでいるということです。

もちろん場面によっては服を着る事だってあるから、日本にも様々な服制というのがあります。

しかし一方で、何も身に着けず、何も着飾らず、ありのままの状態も、素晴らしいということを、私たちの祖先は知っていたし、現代に生きる私たちの心にもちゃんと在るということです。

 

それを理解すると、

「余計な買物」が減るのです。

自分を良く見せるための、服や宝石や時計やバッグ・・・

こうしたものが必要なくなるのです。

大事なもの、本当に好きなもの、思い入れのあるもの・・・

こうしたものだけが身近に残り、

あとの余計なものがどんどん自身の元から去っていくのです。

 

 

だって、そんなもの身に付けなくても、

「ありのまま」、つまり裸のあなたが穢れのない、最高の価値だからです。

 

 

何かの参考になれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。