『神主の遺言』

『統合神道』唯一の神主のブログ。それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

「性」と向き合う 第3章 同性愛の仕組み

それでは前回の続きになります。

私たちは何か不足を感じた時、それを補おうとする生き物であり、

そしてそれは「性」においても同じことが言えることを確認しました。

ということは、もうお分かりの通り、

男性同性愛というのは、自身の「男性性」の不足を補う行為だと言えます。

「行為」というと、具体的な行動のみを想像しますが、「心の動き」も当然含まれます。

例えば非常に面白い現象を挙げると・・・

たくさんの人がいる真夏の海水浴場で、日々身体を鍛えているボディビルダーを裸で歩かせると・・・

たくさんの女性がやってくると思いきや、実はたくさんの男性が声を掛けてきます。

しかも彼らはいわゆる同性愛とは無縁の生き方をしているような、簡単に言えば普通の男性です。むしろ率先して同性愛者をあざ笑う側に立つような人たちです。

しかし彼らは嬉々として、そのボディビルダーに近寄って、「かっこいいですねぇ~」から始まって、どうやって鍛えているのか?どこで鍛えているのか?どうすればそうなるのか?など質問責めを繰り返し、最終的には「一緒に写真を撮って下さい」となるのです。

そして、中にはこの出会いがきっかけで、自身もジムに通い、身体を鍛えるようになる人もいます。

 

もうお分かりの通り、同性愛と無縁の生き方をしているような男性で、「私は男である」という自己認識を父親なりから幼少期にキチンと受け取った人であっても、決してそれは完全ではなく、必ず「あそび」の部分が残っているというわけです。ですからその「あそび」部分を埋めようという心の働きが生じて、「男らしさ」が強調されるボディビルダーに魅了されるという「心の動き」が生じ、そして実際に自分も鍛えてみるという「行為」となって表れるというわけです。やはりこれも「自己愛における性分野の溝・傷」の補完というわけです。つまり広義での同性愛ということが可能です。

 

上記の例は「あそび」というごく微量な「男らしさ」(男性性)の取り込みでありましたが、

この不足分がもっと大きければ、よりそれを補おうとする働きも大きくなります。

個人の感性に基づいて「これは男らしい」(男性性を感じる)と思うものを、積極的に取り込もうとするはずです。これは本当に人それぞれです。

それは男性が女性の「女らしさ」(女性性)を求めるのと何も変わりません。

その「声」に「女らしさ」を感じるのか、その「胸」に「女らしさ」を感じるのか、その「仕草」に「女らしさ」を感じるのか・・・・と同じです。

しかしその中でも「性」を最も象徴するものが、性器であり、男性の場合はそれが特に外部に露出しているので、非常にわかりやすい「男らしさ」です。

即ち、男性同士の性行為というのが、最も「男らしさ」(男性性)の取り込みという意味では容易なはずです。

 

性行為の形というのは、お互いによってスタイルも様々で、一概にこうあるべきもの、というのはありません。

しかし概ね、性行為というのは、受動と能動で成り立ちます。もちろん行為の最中にこれらが逆転することもありますが、少なくもとお互いが受動というのは成り立ちません。

男性同士の性行為も同じことですが、受動側はそのまま相手の「男性性」を求め、受け入れるだけなので何も問題はありません。

しかし能動的な立場でその性行為をリードする側の人は、行為そのものは男女の性行為における男性の役割と変わりません。

にも拘わらず、相手が女性ではなく、男性であるということは、やはり能動的な立場な人であっても、自身の男性性の不足を補おうとしているということです。

 

これが「なりきる」という心の働きと関係してきます。

非常にイメージし難いとは思いますが、

「男性である自分が男性であることを演じる」ことによって、自ら「男性性」を生産するということです。

4歳の男の子がナントカライダーになりきるのと似ています。

「かっこいい自分」(父親みたいな自分)になることによって、「私は男だ!」という確認をしている。というわけです。

 

ここまでご理解頂いた通り、同性愛というのは、ここからここまでが同性愛である。という範囲が非常に難しく、また範囲を決める必要もないと私は考えています。

つまりこれは「私は同性愛者である」と自身をカテゴライズするのは本当に慎重にするべきだということでもあります。

そのように自身をカテゴライズする、つまり自身にラベルを貼る事にとって、そのラベル通りに生きようとしてしまい、本当にその人らしく生きられなくなる場合が多分にあるからです。↓

「私は〇〇である」ってそれホント?? - 『神主の遺言』

 

またこれは本当にこの同性愛の仕組みの一様相であり、これが全てはありません。

それほどまでに私たちの「性」というのは複雑に構成されているものなのです。

そして、女性の同性愛ついては全く触れませんでした。

ただ一つだけあくまでも私の「感覚」として申しておくと、女性同性愛も男性同性愛同様に「自己愛における性分野の溝・傷」の補完作業の表れだと考えていますが、女性の場合、「性の否定」というのがキーワードになってくるように思います。

つまり、自分が女性であることによって何か不利益を感じたために、これを否定しようとする心の動き・行動となって表れているように思います。この女性同性愛についても男性同様、もっと色々と調べ、考えていかないといけないと思います。

 

他にも色んなことが言えるのですが、次章において最後、一つだけある事に絞ったお話をして終わりにしようと思います。

 

お読み頂きありがとうございます。