『神主の遺言』

それぞれが「本当の私」と出会い、精神的な苦しみから脱して、自分らしい人生を送れるヒントを語ります。

バランスを取っている

こんにちは。

ご訪問ありがとうございます。

とてもいい天気で桜ヒラヒラ綺麗ですが、

「集」「近」「閉」は避けましょう^^

 

 

さて

私の師匠(←勝手に言ってます)解放カウンセラー仁さんから教えてもらったことの一つに、

「心はいつもバランスを取ろうとしている。」

というものがあります。

いわゆる世に言う「鬱病」というのも、

心にネガティブが巣くい、これ以上出歩いて、人と接触しない方が良いと判断し、

心がバランスを取っているからこそ、例えば朝体が動かなくなると言った状態になるそうです。

 

つまり体で言えば、誰かに肩をポンと押されたら、咄嗟にどちらかの足を出して、転ばないようにバランスを取ります。

これと全く同じだと思います。

 

そして、とても重要な事は、

それは「何も悪くないでしょ」ということです。

 

バランスを取ろうと、足を出す事を「悪い事」と思う人はいないでしょう。

でも、鬱病(本当は鬱状態)になって、例えば学校や会社に行けずに、家に籠ってしまうことは「悪い事」と認識されることがあります。

別に他人が「悪い事」と思っていようがいまいが、どうでもいいのですが、問題なのは、本人が「悪い事」と思ってしまうのが問題なわけです。

「俺は鬱病になって、会社に行けずにダメな人間だ・・・」

「会社の同僚はみんなちゃんと働いているのに、俺だけこうして家にいてダメだ・・・」

のようにです。

 

誰だって「〇〇病」と言われて、喜ぶ人はいないでしょう。

ですから「鬱病」というラベルを貼られれば、誰だってそれを「悪い事」と認識するのは当然です。

 

しかし繰り返しますが、これは本当に心が壊れないように、心が自らバランスを取っているのであって、決して悪い事ではないのです。

悪いと思っているのは「鬱病」という名前とそれに対する自身の認識によるものなのです。

 

大事な事は、自身の中にあるネガティブの根本がどこにあるのかを探る事です。

私もこうしてずいぶん偉そうに語っていますが、

まだまだネガティブは存在します。

先日も「他人から嫌われているかも知れない」という不安で心が動揺することに改めて向き合ってみました。

やはりこれは幼少期における父親との関係が大きく影響していたことにたどり着きました。

そして、自分自身に父親は別の人間であり、私の言動に対して高圧的な遮り、心理的な操作は加えてこないことを言い聞かせたのです。

すると、明らかにそれまでの「他人から嫌われているからも知れない」という不安が軽減されたのです。

 

己の過去を振り返り、ネガティブの根本(ガムテープ)を探し、

それを見つめ、剥がしただけです。

「不安」という心の状態に対して「薬」を用いずとも、ちゃんとこうして解放されるものなのです。

 

今、精神的に苦しいみなさん。

どうぞご自分を責めないでください。

自分はダメな人間だなんて思わないでください。

一緒にゴールを目指しましょう。

 

 

それでは今日はここまで。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。